20230313の頭のナカ

仲良しでだいすきなお友達でも、

自分が引いてしまうことがあったんだけど

なんかめっちゃうわ〜〜〜〜って思っちゃったから自分は友達にそうやって引かれることがないように生きたいな、って思ったのが今。

ついにこの前戦いが終わり、ままと苗字が一緒じゃなくなった。この日を迎えるために今まで戦ってたわけなのでとてもめでたいことだよね。いちばん素直に喜べないのはほのだけか、という考えに至るくらいわたしの思考回路はいちばん子供だナ。片方のおばあちゃんには実質縁を切られてしまっているみたいだし、なんだか人生うまくいくことばかりじゃないんだなをとても実感中。

仕事は2年目に入りそうで、この一年でなにが変わったのか、成長できたのはどこか考えているのが最近の頭の中

あったかくなってきたので休みの日の朝は散歩する生活始めようと思った明日からやりましょう火曜日ですのでね、

おうちのはなし

こないだ前の家に行った。ままがこれで最後かな、お世話になりました。って言って頭下げた。言いたくなかったから言わなかった。

ほのがこの家にいちばん思入れあるかもねって言われてそうかもしれないと思った。

帰る前庭に出て眺めると手入れされなくなった少し荒れた景色だった、家が建ったときに3人で作った庭だったって思い出してた。

引っ越して半年経ったって、10年以上住んでた家に入れば懐かしさなんて1ミリもなくて、ただ帰ってきた感じしかしない。

帰りの車でままが、最後だから写真撮ってくればよかったなーって言ってた。

うちはお世話になったものを捨てるとき写真撮っておく事が多い。

だから絶対撮りたくなかったよ。お世話になった家を捨てたくなかったからね。実際は捨ててることになるのか。でもほのは家が売られても、取り壊されても、帰ってきたいと思う場所だよ。

イロイロ

今までいろーんな人間に出会ってきましたけども、某アプリでな。

よくおまえは理想が高いんだと言われます。そうかもしれないが、その理想に程近いひとに出会ってしまったがためその人を超えるひとって中々現れてはくらないものダナ。

その人とはどうこうなれるわけではなかったし、理想な人とはいえ付き合うとはまた別な対象?な気がしてやはり人と付き合う、って難しいことなのではと思ってしまう時点でたぶん向いてないんだろうな、人のいろんなところ見てしまうからだろうかナ、自分きもいなやだな、

やっぱりいい人だなーって思っても、まあ付き合おって言われたら付き合うかなーぐらいのモチベでみんな生きてるんすかね?わからんけど、久々に新キャラと会った帰り道に座れないとなると起きているので色々なコト考えてしまっていた、てことサ。

よいおとしを!

よいおとしを!って言葉がすごく好きなので絶対今年会う人最後だろうなって人には言うようにしてます。あっという間に年末ですね!

2022年ほのの今年の漢字はまさに

“激”ですね。

国試勉強からの幕開け、人生でいちばん勉強して無事に合格し、4月から新卒社会人として働き始めて、親の離婚があったり、今年もまあ色んな人と出会ったり別れがあったり、激動、激務、な一年でした。^ - ^

とにかくあっという間で一瞬で流れていった一年でしたね。

社会人になっても会いたい人には常に会えているし、食べたいものがあれば食べれるし、欲しいものは買えるし、不自由はない生活送れてよかったですね^ - ^

あーあとは今年の大晦日は人生で初めてお友達と年越しができるのがすごく楽しみ!

今まではちょっと禁止だったんですよね。

縛られることもなくなったので幸せ!^ - ^

そんな人たちをこれからも大切にしていきましょう。そんで来年はもうちょい仕事に意欲的になれるといいかなあ。^ - ^

あと絶対来年には彼氏作るデ!🔥

ありがとう2022!よいおとしを!

音楽ってツヨイ

前にギター作った人天才だよねってお話したんだけど、まずいちばん最初に歌おうって思った人すごすぎない?普通に会話する以外に声を、喉を使ってみようってなる発想がすごい。もはやなにも考えずに歌ってたのかな。

昨日ライブっていうものに行ったのたぶん高3ぶり?とかだったんですけど、対バン相手のバンド全く知らないし一曲も聞いていかなかったのね。全然知らない曲なのになんかすごい楽しくて、そんでボーカルの声が綺麗すぎて、久しぶりにもっと聴きたい知りたいって思う方に出会いましたわ。なんか曲調結構横に揺れる系なんかなーって思ってたら最後の曲がすごいガシャガシャ系で耳が壊れそうな音量でみんな壊れたおもちゃみたいになってて超かっこよくて。ギャップでさらにやられましたわ。すげーな川谷絵音

こころのなか

ちいちゃい時から旅行が好き、家族旅行は多い方だったと思う。家族が新体制になってから初めての旅行は、すごく楽しい。1人いないことに特に寂しさを感じたりとかはしていない。

でも、なんでなんだろうね、こんな気持ちになった自分が悲しいんだけども

行きの車で海が見えた時、すごく波が高くて動画を撮ったんだけど

ほんの一瞬、帰ってこの動画見せて波高かったんだよって話そうってほんの、ほんの一瞬思っちゃったんだよね。

いつも生活していてこんなことはないんだけども、旅行っていう昔からの特別なイベントだといないのが違和感だからなのかなあ、

やっぱりさ、人への愛情表現とか、注ぎ方?を間違えるってすごく悲しいことだよね。自分は愛してるのに、それを相手にわかってもらえず離れていってしまうんだもん。そこに関しては誰が悪いわけでもなく、だから余計に切ない。いつか、本当にいつかもっと時間が経って会える日が来るのであれば、私に愛は伝わっていたよってことだけは教えたいな。

ぱぱがしんだ日

ぱぱがしんだ。

いや、亡くなったわけではない。こんなこと書くのは不謹慎だろうか。しかし確かに僕の中ではしんでしまったのだ。

というのは、ある日突然聞かされたぱぱの知りたくなかったこと。聞いていて涙が止まらなくなるほど苦しんだままの話。

僕は家族が大好きだ。

『おまえの家族ってほんと仲いいよなー』

今まで二十年間生きてきてすごく言われてきたこの言葉。そして誇りだった。嬉しかった。

兄弟は3人。そしてぱぱとまま、犬がいて。

小さい頃から旅行や遊びに行く習慣のある家だった。僕たちが大人になるにつれ、それは少なくなりつつもなくなることは決してなかった。それが嬉しくて、楽しかったんだ。

家族でも思い出は数えきれない。それはどこかにいったものや、日常のもの。そのどれもが大切で、絶対に消したくないものになっている。

ぱぱとままはたまに喧嘩はするけど、理想の夫婦だと思っていた。

それがそれだけじゃないと知ったのが今回なんだが、ここではその話はしないでおく。

とにかく僕は、自分の家族が世界で一番幸福なんだと信じて疑ったことはなかった。

もちろんその時間たちが嘘だったことはないとわかっている。すべて本当のこと。

しかし、ぱぱには僕たちがすべてじゃなかったんだと、それだけのことだ。

許せない、だとか、憎む、だとか、

そういう感情ではなく、しんだんだ。

嫌いになったわけじゃない。今も変わらずに好きだ。だけど、今までのぱぱはしんだ。

しんだらもう生き返らないのだ。

つまり今までのぱぱではなくなったということ。

すごくすごく悲しくて悲しくて、考えたくないことがぽんぽんでてきてしまう。

僕にはなにもできない。それが悔しい。

そしてままの苦しみを分けてもらうこともできない。なによりも悔しいのはこれだ。

だけどいま僕にできること。ままのそばにいること。ただそれだけだ。情けないけど、頑張るしかない。

さようなら、今までのぱぱ。もう会うことはできないのが、心の底から、ほんとうに悲しい。今までありがとう。

 

追記:これを書いたのはいちねんまえ、どうしても自分の話にしたくなくて客観視したような書き方をしていた、下書きにひっそりと置いてあった当時の感情。